大阪地方裁判所 平成4年(ワ)9808号 判決 1995年3月10日
原告
鳥山政博
右訴訟代理人弁護士
腰岡實
被告
萩野健司
同
北口啓喜
同
野田一起
同
野田公司
同
宇山雅康
右被告五名訴訟代理人弁護士
丸山英敏
同
平田亨
右訴訟復代理人弁護士
笠島幹男
被告
大阪市
右代表者市長
西尾正也
右訴訟代理人弁護士
松浦武
右訴訟復代理人弁護士
福居和廣
被告
宿谷正道
主文
一 被告萩野健司及び同宿谷正道は、原告に対し、各自金四〇二四万八九七〇円及び内金三七二四万八九七〇円に対する平成四年四月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告の被告萩野健司及び同宿谷正道に対するその余の請求、被告北口啓喜、同野田一起、同野田公司、同宇山雅康及び同大阪市に対する請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、原告に生じた費用の二分の一と被告萩野健司及び同宿谷正道に生じた費用を右被告らの負担とし、原告に生じたその余の費用とその余の被告らに生じた費用を原告の負担とする。
四 この判決は第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 請求
被告らは、原告に対し、連帯して金四四〇九万七九七〇円及び内金四〇〇九万七九七〇円に対する平成四年四月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
本件は、被告大阪市立生野工業高等学校(以下「生野工業高校」という。)の講師であった原告が、同校が開催した文化祭当日、勤務中に暴行を受け、右眼球破裂失明の傷害を負ったことによる損害の賠償を、被告大阪市を除くその余の被告らに対しては、共同不法行為責任に基づき、被告大阪市に対しては、安全配慮義務違反あるいは国家賠償法一条に基づき請求した事案である。
なお、被告宿谷正道(以下「被告宿谷」という。)は、公示送達による適式の呼出を受けたが、本件口頭弁論期日に出頭しない。
一 前提事実
1 原告は、昭和六一年三月、大阪商業大学商経学部を卒業し、同年四月一日、被告大阪市の市立高等学校講師に委嘱され、昭和六三年、生野工業高校講師となり、平成元年一一月当時、社会科担当の教員として同校に勤務していた(原告と被告大阪市との間において争いがなく、その余の被告らとの間においては、原告本人)。
2 平成元年一一月一九日、生野工業高校は文化祭を開催し(以下「本件文化祭」という。)、原告は警備等に関する職務に従事していた(原告と被告大阪市との間において争いがなく、その余の被告らとの間においては、証人瓜生、原告本人)。
3 被告宿谷、同萩野健司(以下「被告萩野」という。)、同北口啓喜(以下「被告北口」という。)、同野田一起、同野田公司及び同宇山雅康(以下「被告宇山」という。)は、本件文化祭に連れ立って来校していたが、同日午後三時一五分ころ、被告宿谷が原告の右眼を手拳で殴打するという暴行を行った(以下「本件暴行」という。)(甲六ないし一五、一七、一八、乙一ないし三、原告本人)。
4 本件暴行により、原告は、右眼球破裂失明の傷害を受けた(以下「本件傷害」という。)(甲一六、二〇、二一、原告本人)。
二 争点及び争点に対する当事者の主張
1 被告大阪市を除くその余の被告らの責任
(一) 原告の主張
(1) 被告萩野は、暴力団山口組中野会志誠会の「志誠会」に「新日本」の冠をつけた右翼政治結社新日本志誠会の構成員であり、同北口は、同会事務所に出入りして、その活動に参加していた者であり、同野田公司は、暴力団今西組の構成員であり、同宿谷、同野田一起、同宇山らは、被告萩野らの仲間であるところ、平成元年一一月一九日開催の本件文化祭においては、生野工業高校の部内関係者であることを証する入場券を所持しない者は入場できないこととなっていたにもかかわらず、同日午後二時すぎ、右六名の被告らは、入場券を所持することなく、同校教職員の制止を無視して校内に侵入した。
(2)イ 同日午後三時一五分ころ、右六名の被告らが校内グラウンドにおいてサッカーボールを蹴りあっていたため、原告がサッカーをやめて校外へ退去するよう求めたところ、被告萩野は、「なんじゃ、お前、誰にものを言うてるのか。こっちへ来い。」と怒声をあげながら原告に迫り、原告の胸倉を掴んで襲いかかるように威圧した。
ロ その時、被告宿谷を含む他の五名の被告らは、原告を取り巻く形で、原告から二メートルくらいの位置まで接近してきており、このような状況の下で、被告宿谷が「いってまえ。」と叫びながら本件暴行を行った。
ハ 被告萩野は、本件暴行により眼から血を流している原告の胸倉をなおも掴んで容易に離そうとせず、仲裁に入った教職員に引き離された後も、原告に対し、「逃げるな。いつでも殺したる。」と叫んでいた。
(3) 以上によれば、被告萩野は、原告に対して故意に暴行を加え、被告宿谷による本件暴行を容易にしたものであるから、被告宿谷とともに共同不法行為責任を負うことは明らかであり、また、他の四名の被告らは、単なる傍観者ではなく、被告萩野、同宿谷と行動を共にしている仲間であって、同じく原告に迫り、原告を畏怖せしめて原告の集中力を撹乱させ、被告宿谷らの暴行を心理的に容易ならしめたものであるから共同不法行為責任を免れない。
(二) 被告大阪市、同宿谷を除くその余の被告らの主張
(1) 六名の被告らが友人であり、本件文化祭に入場券を所持せず入場したことは認めるが、これは被告萩野が同校の卒業生であったため入場券なしに入れたのであり、原告主張のような態度で侵入したものではない。
(2) 六名の被告らは、入場後、校内で行われていた模擬店等を見物し、その後帰ろうとしたところ、運動場でサッカーボールを蹴って遊んでいた生徒のグループが三ヶ所位あったため、自分達もサッカーがしたくなり、一組のグループからボールを借りてボールの蹴りあいを始めた。
(3) 六名の被告らがボール遊びを始めてしばらくした時、原告がひどく怒った様子でやって来て「サッカーやめ。」と言った。
被告萩野は、他にもサッカーをして遊んでいるグループがあるのに、自分達だけが注意されたことから多少反発を感じ、「何や。」と言ったが、同被告は生野工業高校の卒業生であり、トラブルを起こしたくなかったので、「生徒も見てるし、向こうで話しようや。」と言った。
すると原告が「誰に言うてんねん。」と大声で叫び、いきなり被告萩野の胸倉を掴んできたため、被告萩野も反射的に原告の胸倉を掴み、双方大声で言い争いをしていたところ、被告宿谷がいきなり本件暴行を行ったものである。
(4) 以上のとおり、被告萩野は、原告に暴行を加える意思でその胸倉を掴んだものではなく、被告宿谷と共謀して原告を殴打したり、同被告の暴行の手助けをしたことはない。
被告北口、同野田一起、同野田公司及び同宇山は、原告に暴行を加えたこともなく、原告と被告萩野の言い争い及び被告宿谷による本件暴行を遠巻きに見ていただけである。
よって、右被告らが共同不法行為責任を負うとの主張には理由がない。
2 被告大阪市の責任
(一) 原告の主張
(1) 本件文化祭は教育活動としての行事であるから、被告大阪市は、事故を起こすおそれのある者の校内侵入を防止するなどして、同校生徒、教職員の安全に配慮すべき義務がある。
(2) 生野工業高校は、本件文化祭に同校関係者以外の者が侵入して、粗暴行為を誘因するなど不測の事態が生ずることを防止するため、本件文化祭の前に予め父兄等学校関係者に入場チケットを配付して、入場チケット一枚につき、その所持者を含めて二名まで入場できるが、それ以外の者については入場を拒絶すること、入場チケットを所持していても服装が普通でない者については入場う拒絶することを決め、これを実行するため、正面玄関(正門)に一時間交替で常時三、四名の教職員を配置し、右条件に合致しない者の入場を拒絶する警備体制をとり、他に、校舎内及び校舎外にそれぞれ二名の教職員を常時配置する警備体制をとっていた。
(3) 当日午後二時すぎ、被告萩野、同宿谷、同北口、同野田公司、同野田一起及び同宇山の六名の被告らは、同校正門から入場したが、入場チケットを所持していないばかりか、いずれも暴力団や右翼に関係した者であり、政治結社新日本志誠会の名前が書かれ、日章旗と菊の旗を立てた右翼の大型街宣車で同校正門近くに乗り付けており、かつ、被告萩野は、濃紺の右翼戦闘服を着用し、パンチパーマをした一見して異常な風体であり、他の五名も一見して異様な風体の感じの者であったのであるから、生野工業高校は、それのみで警備対策を遵守して、その入場を拒絶すべきであった上に、これらの者が校内へ入場すれば、トラブルを起こすことを予見しえたのであるから、断固右六名の被告らの侵入を阻止して、生徒、教職員等の安全に配慮すべき義務があった。
しかるに、正門警備担当者は、右六名の被告らの異様な風体に恐れをなし、侵入阻止を怠った。
(4) また、当時の正門警備担当者の一人であった和泉武志教員(以下「和泉」という。)が、生活指導課へ「正門から見えるところに街宣車が止まり、右翼のような感じの六名が校内へ入ろうとしたので、チケットの呈示を求めたが、強引に入られた。」と報告したにもかからず、生野工業高校は、本件暴行に至るまで、全く何の配慮も講じなかった。
(5) 以上のとおり、生野工業高校教職員が、六名の被告らの侵入阻止を怠り、かつ、その後何らの安全配慮も講じなかったため本件事故が生じたものであるから、被告大阪市は、労働者に対する安全配慮義務違反(民法四一五条)、あるいは、国家賠償法一条に基づき、原告に生じた損害を賠償する責任がある。
(二) 被告大阪市の主張
(1) 本件文化祭の入場チケットは、もともと在校生の保護者に文化祭に来てもらうことを念頭において、慣行として入場者二名とされているものであり、卒業生や近隣の人々については、たとえ入場チケットを所持していなくても、また二名以上であっても、その入場を認める取扱が従前からなされていたところ、本件は、被告萩野が、生野工業高校の卒業生(昭和六三年三月電気科卒業生)であって、同被告の知人としてその余の五名の被告らが同被告とともに来校したものであり、また、被告萩野らが乗車してきた街宣車は、マイクロバスの大きさであって、当時の正門警備担当者としては、同被告らが右翼の街宣車でやって来たことの認識はなく、さらに、被告萩野らの服装については、右翼戦闘服を着用した者は一名もなく、六名ともジャンパー、セーターといった普通の服装であったもので、被告萩野らは特にトラブルもなく入場したのであり、入場時に本件のような危険が予知できる雰囲気ではなかった。
(2) 入場後、被告萩野らは、原告からサッカーを止めるよう注意されるまでは、模擬店を回ったり、バンドの演奏を聞くなど、別段粗暴な振る舞いはなく、本件は、当日の文化祭行事が終わり、一般来校者が学校から退出する時刻になった時、たまたま六名の被告らがサッカーをしていたところ、これを原告から注意されたことをきっかけとして生じたのであって、本件事故は前兆もなく、突発的に生起したものであり、同校教職員が、六名の被告らの本件文化祭への入場を阻止しなければ危険であるとか、本件事故惹起の直前まで六名の被告らの退場を求めなければ危険であるという状況にはなかったのであるから、被告大阪市が、本件事故の発生を予見しえたとは到底いい得ない。
(3) したがって、被告大阪市は、六名の被告らを入場させたこと、あるいは、同被告らを退場させなかったことについて何ら責任はない。
3 損害額
原告は、本件傷害を被ったことによる損害を、以下のとおり主張し、被告宿谷を除くその余の被告らは、これを争っている。
(一) 逸失利益
金三九四〇万九〇七七円
(1) 原告は、本件傷害の後遺症等により、平成四年三月末日をもって被告大阪市教職員を辞職した。
(2) 原告は、平成四年現在二八歳であり、就労可能年数は、六七歳までの三九年間であり、そのホフマン係数は21.309である。
(3) 本件傷害は、平成三年三月四日症状固定し、その回復の見込みはないところ、右障害は、後遺障害別等級表第八級一号に該当し、その労働能力喪失率は四五パーセントである。
(4) 平成二年賃金センサス男子大学卒二五歳から二九歳までの全国平均年間所得は、金四一〇万九八〇〇円である。
(5) よって、その逸失利益は、三九四〇万九〇七七円となる(410万9800円×0.45×21.309=3940万9077円)。
(二) 慰謝料合計金一二〇〇万円
(1) 入・通院慰謝料 金二〇〇万円
原告は、本件事故当日である平成元年一一月一九日、奈良県立医科大学付属病院に入院し、同年一二月二六日退院したが(入院日数三八日間)、その後、右眼失明の症状が固定した平成三年三月四日まで通院を余儀なくされたことはもちろん、平成六年一一月二一日現在も通院しているものであり、右退院後、現在までの実通院日数は二四日間である。
よって、原告が被った入通院中の慰謝料は、金二〇〇万円を下らない。
(2) 後遺障害慰謝料金一〇〇〇万円
(三) 入院付添費 金二二万円
原告が入院中、原告の母親が付添看護したが、右入院付添費は、一日につき金六〇〇〇円を下らないから、三八日間では二二万八〇〇〇円となるが、そのうち金二二万円の賠償を求める。
(四) 入院雑費金四万四四〇〇円
入院中の雑費は、一日につき金一二〇〇円を下らないから、三八日間では四万五六〇〇円となるが、そのうち金四万四四〇〇円の賠償を求める。
(五) 弁護士費用 金四〇〇万円
(六) 損益相殺
原告は、本件事故による前記損害のうち、被告大阪市加入の地方公務員災害保証基金大阪支部から合計金一一五七万五五〇七円の補償を受けた。
(七) よって、原告が請求する損害は、右(一)ないし(五)の合計五五六七万三四七七円から、(六)を控除した金四四〇九万七九七〇円及び弁護士費用四〇〇万円を除くうち金四〇〇九万七九七〇円に対する、原告が被告大阪市教職員を辞職した日の翌日である平成四年四月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金である。
第三 争点に対する判断
一 被告大阪市を除くその余の被告らの責任
1 前記前提事実に証拠(甲四、五、七ないし一三、一七、一八、二三、乙一ないし三、原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。
(一) 被告萩野ら六名の被告らの関係等
(1) 被告萩野(昭和四四年四月二四日生、本件当時二〇歳)は、昭和六三年三月、生野工業高校を卒業したものであるが、本件当時、右翼政治結社新日本志誠会の構成員であり、同北口(本件当時一七歳)は、正式な構成員ではないが、同会事務所に出入りして、その活動に参加していた。
(2) 被告野田公司(昭和四六年一〇月九日生、本件当時一八歳)、同野田一起(昭和四六年一二月六日生、本件当時一七歳)と同宇山(本件当時一八歳)の三名は、同じ中学校出身の同級生であった。
(3) 被告宿谷(昭和四三年二月二七日生、本件当時二一歳)は、かねてより同宇山と顔見知りであったところ、平成元年六月ころから親しく付き合うようになり、同被告の友人であった被告野田公司及び同野田一起とも行動を共にするようになった。
(4) 被告萩野は、本件事件の約二年前に、被告野田公司、同野田一起及び同宇山と知り合い、付き合うようになったのであるが、被告萩野と同宿谷は、平成元年九月末あるいは一〇月初めころ、被告宇山を通じて知り合い、以後本件に至るまで一〇数回行動を共にしたことがあり、被告萩野は、被告宿谷がボクシングをやっていたこと、気が短く喧嘩が強いことなどを知っていた。
(二) 本件事故に至る経緯
(1) 平成元年一一月一九日の本件文化祭当日、被告萩野ら六名の被告らは、被告萩野の母校である生野工業高校の文化祭を見学するため、午後一時三〇分ころ、被告宇山の家に集まり、被告萩野が日頃より保管使用していた右翼政治結社新日本志誠会の街宣車に乗車して同校に向かい、同日午後二時すぎころ、生野工業高校の正門から約三〇メートル離れた交差点の脇に右街宣車を停めて下車し、歩いて同校正門から入場した。
(2) 入場後、右六名の被告らは、グラウンドに設けられた模擬店を回り、被告萩野が後輩に声をかけたり、食堂で飲食したり、体育館でバンドの演奏や腕相撲大会を見たりした。
(3) その後、午後三時ころ、最終行事である腕相撲大会も終わり、外来者の退場時刻になったことから、右被告らは、体育館からグラウンドに出て帰ろうとしたが、その際、サッカーボールを蹴って遊んでいた同校生徒のグループが三グループ程いたので、そのうちの一グループからサッカーボールを借りて、六名の被告らでボールの蹴りあいを始めた。
(三) 本件暴行前後の状況
(1) 右被告らがサッカーボールの蹴りあいを始めてしばらくした同日午後三時一五分ころ、模擬店の後片付けなどを生徒に指示していた原告が、被告らに対し、サッカーを止めるよう注意したが、被告らが直ぐにサッカーを止めようとしなかったので、なおも原告が止めるよう注意したところ、被告萩野が、「何言うてんねん。こっちへ来い。」と言って原告を呼んだので、原告が被告萩野の方に近づいて行ったところ、同じく原告の方に近寄って来た被告萩野が、相対峠した原告に対し、「お前なんか知らん。」などといいながら、いきなり原告の胸倉を掴んで来た。
(2) 原告は、被告萩野に胸倉を掴まれたことから、これを振り解こうと、とっさに同被告の肘あたりを抑えた。
(3) その時、被告萩野を除く五名の被告は、被告萩野と原告の方に近寄ってきていたが、このような状況の下で、被告宿谷は、被告萩野に加勢するという気持ちと、サッカーボールを蹴って遊んでいたことくらいで注意をされたことに腹が立ったことから、「いってまえ。」と叫びながら被告萩野の背後から飛び出し、やにわに本件暴行を行った。
(4) 本件暴行により、原告の眼鏡が割れて飛び散り、原告の右眼からは血が流れ出ていたが、被告萩野はなおも無抵抗の原告の胸倉を掴んで離そうとせず、かけつけた教職員に引き離された後も、原告に対し、「お前なんか知らんのに、偉そうなことを言うな。」などと言い、また、仲裁に入った教職員に対しても、「格好悪いやないか。落としまえどうつけてくれるんや。」などと怒鳴っていた。
(四) 以上の事実が認められ、これに反し、甲一三、乙一、丙一ないし五(いずれも被告らの供述調書ないし陳述書)及び被告萩野の供述のうち、「胸倉を最初に掴んだのは原告であり、本件暴行後、被告萩野はびっくりして原告の胸倉から手を離し、被告宿谷を止めようとした。」とある部分は、仲裁に入った生野工業高校教職員である西崎照明の本件事故当日付けの供述調書である甲七、原告の供述調書である甲一八及び原告本人尋問の結果に照らし、信用できない。
他に、右(一)ないし(三)の認定を覆すに足りる証拠はない。
2 以上を前提に、被告萩野ら六名の被告らの責任について判断する。
(一) 被告宿谷
同被告は、被告萩野に加勢する気持ちと、原告から注意されたことに立腹したことから、原告に対して本件暴行を加え、その結果本件傷害を負わせたのであるから、原告に生じた後記損害を賠償する責任がある。
(二) 被告萩野
(1) 同被告と被告宿谷の間には、原告に加害行為を行うことの事前の共謀があったわけではなく、また、被告宿谷の本件暴行は、被告萩野の背後からいきなり行われたものであって、被告萩野において、右暴行を事前に認識することができたわけでもない。
(2) しかしながら、被告萩野は相対した原告の胸倉を掴んでいるところ、その際の同被告の発言内容及び本件暴行後の言動に照らせば、同被告において、原告に対する加害の意思があったことは十分に認めることができる。
そして、被告宿谷による本件暴行は、被告萩野に胸倉を掴まれ、行動の自由を奪われた原告に対して行われたものであるから、被告萩野の胸倉を掴むという暴行行為は、被告宿谷による本件暴行を客観的に容易にしたといえることに加え、被告萩野は、本件暴行後、眼から血を流している原告に対し、その結果を認識したにもかかわらず、なおも、原告の胸倉を掴んでいる手を離そうとせず、仲裁者に引き離されるまで、原告に対して罵声を浴びせながら胸倉を掴む行為を加え続けているのであって、被告萩野においても、被告宿谷による本件暴行の結果を利用する意思があったと推認し得ること、さらに、被告萩野は、被告宿谷がボクシングをやっており、気が短く喧嘩が強いことなどを知っていたこと、そもそも本件は、原告から注意を受けた際に、被告萩野がこれに反発したことに端を発するものであることを合わせ考えれば、被告萩野と同宿谷は、右一連の暴行行為を共同することにより、原告に対して本件傷害を生ぜしめたものと評価し得る。
(3) したがって、被告萩野もまた、共同不法行為者として、被告宿谷とともに、原告に生じた後記損害の賠償義務を免れない。
(三) 被告北口、同野田一起、同野田公司及び同宇山
(1) 原告が主張するように、右被告ら四名が、原告を畏怖せしめて原告の集中力を撹乱させ、被告宿谷らの暴行を心理的に容易ならしめたことを認めるに足りる証拠はない。原告本人の供述によるも、右事実を認めるに足りない。
(2) 右四名の被告らは、被告萩野及び同宿谷と前記一の1の(一)のとおりの関係にあるものであり、連れ立って本件文化祭に来ていたものであるから、単なる傍観者と同一視はできないが、右事実に、同被告らが本件暴行の際に原告の方に近寄ってきていたことを考慮しても、右被告らは、原告に対して何らの有形力の行使も行っておらず、また、被告萩野あるいは同宿谷の行為を何らかの形で助勢したことなどを認めるに足りる証拠がないことに加え、前記認定の被告らの年齢構成などからすれば、右四名の被告らは、リーダー格である被告萩野及び同宿谷に比して、いわば従たる関係にあると認められ、以上を総合すると、右四名の被告については、未だ共同不法行為責任の成立を認めるに足りないと言わなければならない。
(3) よって、その余の点につき判断するまでもなく、右四名の被告らに対する原告の請求は理由がない。
二 被告大阪市の責任
1 警備対策遵守に基づく主張について
(一) 原告は、生野工業高校では、本件文化祭に先立ち、入場チケット一枚につき、その所持者を含めて二名まで入場できるが、それ以外の者については入場を拒絶すること、入場チケットを所持していても服装等が普通でない者については入場を拒絶することとする警備対策をとっていたと主張するが、右事実を認めるに足りる証拠はない。
(二) 確かに、生野工業高校において、本件文化祭に先立ち、予め父兄等学校関係者に入場チケットを配付していたことは原告と被告大阪市との間において争いがないところ、右入場チケットである甲二の一、二には、注意事項として、「チケット一枚につき二名まで入場できます。」「校内でトラブルは起こさないで下さい。」「服装等により、入場をお断りする場合があります。」との記載があることが認められる。
しかしながら、乙五及び証人瓜生によれば、本件文化祭の入場チケットは、在校生の保護者などに文化祭に来てもらうことを念頭においた宣伝のためのものであり、卒業生や近隣の人々及びその知人については、入場チケットを所持していなくとも、また、二名以上であっても、その入場を認める取扱が従前からなされていたことが認められるから、右チケットの記載内容が、そのまま同校の警備対策の内容であると認めることはできない。
(三) したがって、右のような警備対策の取決めが事前になされていたことを前提に、同校教職員が、右警備対策を遵守して被告萩野ら六名の被告らの入場を拒絶すべきであったとする原告の主張は採用できない。
2 予見可能性に基づく主張について
(一) この点、原告は、被告萩野は、濃紺の右翼戦闘服を着用し、パンチパーマをした一見して異常な風体であり、他の五名も一見して異様な感じの風体であったと主張し、原告本人はこれに沿う供述をする。
しかしながら、甲一八(原告の警察における平成元年一一月二七日付け供述調書)によれば、原告は、本件事件の約一週間後である右一一月二七日の時点では、警察において、被告萩野の服装はラフな服装であった他は覚えていないと供述しており、他の被告らの服装についてもジャンパーなどラフな格好であったと述べるにとどまり、右翼戦闘服を着ていたとか、一見して異常な風体であったなどとは述べていないことが認められるところ、かえって、本件事件当日、被告宿谷が逃亡したので、容疑者の特定を重要な目的として作成された目撃者の供述調書である甲九、一〇によれば、被告萩野の服装は、黒色ジャンパーに横縞のシャツかセーターを着用していたことが認められ、また、本件事故直後、被告萩野から事情を聴取し、被告宿谷を除く被告萩野ら五名の被告らを警察官が護送するのを見送った生野工業高校の教頭である証人瓜生の証言によれば、右被告らは普通の服装であったというのであるから、これに反する原告本人の右供述は信用できない。
(二)(1) 甲三、四及び証人瓜生によれば、生野工業高校においては、本件文化祭当日、正面玄関(正門)に一時間交替で三、四名の教職員を配置し、受付、接遇及び警備にあたっていたことが認められるが、被告萩野ら六名の被告らが入場した際に正門の受付を担当していた一人である証人和泉は、同被告らの入場時の状況について、「右翼の街宣車が、その一部が正門から見えるところに停まり、右被告らが出てきて正門に向かってきたが、その服装は異様なもので、特攻服のような服を着た者がいたから怖いと感じ、こわごわチケットの呈示を求めたが、必要ないと言われた。一緒に警備をしていた佐野先生も、こわごわ小声で、チケットがないと入ってもらっては困ると言ったが、右被告らはこれを無視して入っていった。責任者である木野先生に報告したが、見ていないとのことであった。そこで生活指導課に行き、石井先生他二名くらいの先生に、右翼のような感じの人が六名校内に入ろうとしたので、チケットの呈示を求めたが強引に入られた旨報告した。」、以上のとおり供述する。
(2) しかしながら、右被告らの服装については、前項のとおり、和泉証人が証言するような異様なものであったとは認められない。
また、街宣車の駐車位置については、乙五、証人瓜生の証言によれば、街宣車は生野工業高校の正門から見えない位置に停めてあったと認められるから、この点に関する和泉証言は信用し難い。
さらに、甲三、四及び六によれば、佐野が正門警備を担当したのは、当日午前一一時から午後〇時までであり、被告らが入場した際には警備を担当していなかったことが認められるのであるから、佐野が被告らをこわごわ引き留めようとしたとの前記供述はその前提を欠く。
また、乙七、八によれば、木野及び佐野は、いずれも和泉証人から、その供述にかかるような報告を受けた事実を否定している。
(3) 以上によれば、証人和泉の前記供述もまた措信し難い。
(三) ところで、本件文化祭は教育活動としての行事である以上、被告大阪市は、その公務の遂行にあたる同校教職員の安全に配慮すべき義務があるというべきであり、文化祭が学校の宣伝としての意義を有しており、したがって、外来者の入場を可及的に制限することはせず、歓迎する方針で運営するとしても(証人瓜生)、本件事件のようなトラブルを起こすおそれのあることが事前に予見し得る場合には、かかる者の入場を防止するなどの措置をとる義務があるというべきである。
しかしながら、原告本人及び証人和泉の各供述には、右(一)、(二)のとおり、いずれも疑問があるところ、他に右のような予見が可能であった事情を認めるに足りる証拠はなく、かえって、前記一の1の(二)の(1)のとおり、被告萩野ら六名の被告は、被告萩野の母校の文化祭を見学するために生野工業高校を訪れたのであって、当初より、本件文化祭でトラブルを起こすためにやって来たのではないこと、実際、入場後は前記一の1の(二)の(2)のとおり、何ら問題を起こすこともなく普通に過ごしていたのであり、証人瓜生によれば、被告萩野は、本件の前年度(同人が同校を卒業した翌年)の文化祭にも来場したが、何ら問題を起こしていないと認められること、甲七、八によれば、本件事件の直前である当日午後三時ころ、被告萩野を知る西崎教諭が同被告と出会わした際にも、同被告は普通に挨拶をかわしており、トラブルを起こしそうな様子は全くなかったと認められること、これらの事情を前提とすれば、本件暴行は、前記一の1の(二)の(3)、同(三)の(1)のとおり、原告から注意を受けたことに立腹した被告萩野と同宿谷が、突発的、偶発的に起こした事件であり、右のような事件の発生を、入場時において、あるいは、入場後本件事件が発生するまでの間に、被告大阪市の職員である生野工業高校の教職員において事前に予見することは、極めて困難であったと言わざるを得ない。
よって、予見可能性の存在に基づく原告の主張もまた、採用できない。
3 以上によれば、原告の被告大阪市に対する請求は、その余の点につき判断するまでもなく、理由がない。
三 損害
1 逸失利益
金三九四〇万九〇七七円
(一) 甲二〇、原告本人及び弁論の全趣旨によれば、原告は、本件傷害の後遺症が原因で平成四年三月末日をもって被告大阪市教職員を辞職したこと、原告が、その後、確たる収入を得ていると窺える事情はないこと(なお、原告は、本人尋問の際、職業を会社員と述べているが、その後の弁論兼和解の席では、原告の父親の経営する会社の手伝いをしているものの、逸失利益の判断において、収入と評価すべき程のものは得ていない旨述べていた。)、原告は、平成四年現在二八歳であること、本件傷害は、平成三年三月四日症状固定し、その回復の見込みはないことが認められ、これに反する証拠はない。
そして、右傷害の後遺症は、右眼球破裂失明というものであるから、後遺障害別等級表第八級一号に該当し、その労働能力喪失率は四五パーセントと認めるのが相当である。
(二) そこで、平成二年度の賃金センサス男子大学卒二五歳から二九歳までの全国平均年間所得金四一〇万九八〇〇円に、右労働能力喪失率四五パーセントと、六七歳までの三九年間の就労可能年数に該当するホフマン係数21.309を考慮し、金三九四〇万九〇七七円を本件傷害に基づく原告の逸失利益として認める(410万9800円×0.45×21.309=3940万9077円)。
2 慰謝料合計 金九二〇万円
(一) 入・通院慰謝料
金一二〇万円
(1) 甲二四及び原告本人によれば、原告は、本件事故当日である平成元年一一月一九日、奈良県立医科大学付属病院に入院し、同年一二月二六日退院しており、その入院日数は三八日間であること、その後、右眼失明の症状が固定した平成三年三月四日まで通院したが、平成六年一一月二一日現在も通院しており、右退院後、現在までの実通院日数は二四日間であることが認められ、これに反する証拠はない。
(2) よって、右入院日数、受傷後症状固定までの日数及び実通院日数を考慮し、原告が被った入通院中の慰謝料額は、金一二〇万円をもって相当と認める。
(二) 後遺障害慰謝料
金八〇〇万円
原告の本件傷害は、前記認定のとおりの被告宿谷及び同萩野の故意に基づく暴力行為によるものであるとともに、同被告らが暴行に及んだ動機は、原告にサッカーをしていることを注意されて立腹したという酌量の余地のないものである。もとより原告に責めに帰すべき事由はなく、片眼失明という重大な障害を負わされたこと及び本件傷害当時、原告が二五歳という青年で、独身であったこと(原告本人、弁論の全趣旨)を考慮すれば、原告が被った後遺障害慰謝料額は、金八〇〇万円をもって相当と認める。
3 入院付添費
金一七万一〇〇〇円
(一) 原告本人によれば、原告が入院中、原告の母親が付添看護したことが認められ、これに反する証拠はない。
右のような近親者の入院付添費、一日当たり金四五〇〇円をもって相当と認める。
(二) よって、原告が被った損害のうち、入院付添費の額は、三八日間で一七万一〇〇〇円と認める。
4 入院雑費 金四万四四〇〇円
原告が要した入院中の雑費は、一日につき金一二〇〇円を下らないと認めるのが相当である。よって、原告が被った損害のうち、入院雑費の額は、三八日間で四万五六〇〇円となるから、そのうち原告の請求にかかる金四万四四〇〇円を右賠償額として認める。
5 弁護士費用 金三〇〇万円
以上認定の損害額に本件の難易、程度を総合すれば、本件と相当因果関係のある弁護士費用額は、金三〇〇万円をもって相当と認める。
6 損益相殺
甲二二の一、二、原告本人によれば、原告は、本件事故による前記損害のうち、被告大阪市加入の地方公務員災害保証基金大阪支部から合計金一一五七万五五〇七円の補償を受けたことが認められる。
7 以上より、被告萩野及び同宿谷が原告に対して賠償すべき金額は、右1ないし5の合計五一八二万四四七七円から、6を控除した金四〇二四万八九七〇円及びうち弁護士費用三〇〇万円を除く金三七二四万八九七〇円に対する、原告が被告大阪市教職員を辞職した日の翌日である平成四年四月一日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金である。
第四 結論
よって、原告の本訴請求は、被告萩野及び同宿谷に対し、右支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、原告の同被告らに対するその余の請求及びその余の被告らに対する請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官武田和博 裁判官重吉理美 裁判官西村欣也)